Hotel Verde Blog
スタッフブログ
2024/12/04
来年の話をすると鬼が笑う
ホテルヴェルデスタッフブログをご覧の皆様、こんにちは!!
施設部の祖父江です。
さて、今年もとうとう最後の月、師走に入りまして皆様におかれましても
慌ただしい日々が目の前に迫っておいでなのではないでしょうか。
古来より日本では「来年の話をすると、鬼が笑う」などと言われて来ました。
これは、「不確定な未来の話をしても仕方がない」といった事をあらわした言葉なのでしょう。
しかし、(本稿のアイキャッチがクリスマスツリーなのにw)新年の話題を持ち出します。
おせち料理の由来
始まりは弥生時代
おせち料理の始まりは、諸説あるものの、弥生時代と言われています。縄文時代に、中国大陸から日本に
稲作が伝来し、弥生時代に収穫を感謝する風習と共に広まったとされています。同時に、「節(せち)」を
季節の変わり目とする「歴」の風習も伝わり、神様に収穫を感謝してお供えをする「節供(せちく)」と
いう風習が広まりました。この流れがおせちの原点とされています。※繰り返しますが、諸説あり
「御節供」が「おせち」に
時が経って平安時代になると、天皇を中心とした宮中で「御節供(おせちく)」という行事が始まりました。
「五節供」の日には神様へのお供えがされていましたが、徐々に年神様に感謝する「正月」が最も盛大に
なり、「おせち」は正月を祝う料理を意味するようになったとされる説が有力視されています。
平安時代におせちは定着
奈良時代から平安時代にかけて、「節」の儀式が宮中行事として執り行われるようになりました。また、平安
時代には、朝廷ではお正月を含む5つの節に「五節会(ごせつえ)」の儀式が行われ、「御節供(おせちく)」
を神様に供えていました。このように、平安時代になるとおせち料理は五節会の全てでお祝いの料理として
定着していったようです。
庶民にまで広まった江戸時代
江戸時代、幕府は特別な5つの節目(五節句)を祝日に制定。御節供は庶民の間にも広がり、年5回は豪華
な料理を一般の人達も食べられるようになったと言われています。その中でも、新年を迎える節目であるお
正月は、特に重要な日だと考えられ、大晦日におせち料理をつくってお正月に家族で食べるという風習が生
まれたとされています。
重箱に詰めるようになったのは明治時代
平安時代の御節料理は、器に盛られて提供されていました。その流れから江戸時代の記録でも、おせち料理
はお膳に乗っていたとされていましたが、江戸時代末期から明治時代にかけて箱に詰めて提供されるように
変化したと言われています。尚、おせちに重箱が使われるのは「めでたさを重ねる」という理由からという
説もあります。
「おせち」と呼ばれるようになった戦後
もともと、年末にそれぞれの家庭で食材を買い込み、自宅で作られるのが一般的だったおせち。それが、第
二次世界大戦後に、百貨店では重箱入りの正月料理の販売が始まりました。この出来事をきっかけとして、
現在のようにおせちが日本人にとって馴染み深い慣習として広まっていったようです。
現在では、核家族や少子化、共働き世帯の増加など、消費者の生活は多様化し「おせちは家庭で作るより、
購入するもの」に変化してきました。
ジャンルの多様化
おせちと言えば、日本の伝統的な料理が詰め込まれている、というイメージもありましたが、食文化も多様化
した近年では、洋風や中華風など和食の枠を超えたおせち料理も一般的になっています。
イタリアンやフレンチなどの有名シェフが監修するオシャレな洋風おせちなども、人気があるようです。
また、伊勢海老やアワビなどの高級食材がふんだんに使われているおせちも、今や一般的となりました。
正直、各所で販売されるおせちは、お値段もかなり高いものが多いのですが、、、
我が家も共働きなので、年末年始くらいは手間なしに美味しいものを、「ご褒美」としてゆっくりと楽しみ
たいので、迷わず購入する方を選択しております。
そこで、当ホテル自慢のおせち料理を宣伝させて頂きます。
まぁ、「手前味噌」と言われますでしょうが、私自身は毎年楽しみにしています。
来年用のおせち料理を購入するならば、是非とも当ホテル自慢のおせち料理も選択の候補としてご一考
頂けたら幸いです。
それでは、楽しい年末年始に向けて、本年のラストスパート!頑張って乗り切りましょう!!
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